CREATORSクリエイターメンバー

西岡空良
一言PR
映像のカメラマンです。CM や映画や webCM が中心ですが、撮影を介し、 ”人や企業の役に立てる仕事をする” をモットーに掲げ活動中。 楽しいこと、企画、お話、脚本、なんでも大歓迎です。
性別
在住国
日本
ステータス
活動中
職種とスキル

対応エリア
ポートフォリオ
  • タイトル THRMOS - TVCM「山地酪農」篇
    作業領域 撮影
    媒体 CM
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント 世界で最初に魔法ビンをつくった
    『保温容器のトップブランド THERMOS(サーモス)』のブランド CM。
    岩手県のなかほら牧場さんを取材・撮影した「山地酪農」篇。
  • タイトル MINI THEATER JOURNEY
    作業領域 撮影
    媒体 WEB
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント 全国のミニシアターを主人公にした、国際交流基金(JF)企画のドキュメンタリー作品。
    上田の歴史と伝統を基に、街の誇れる映画館を貫く「上田映劇」さんを取り上げた、
    「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」プロジェクトの撮影を
    前10本のうち5本を担当しました。

    ×××××××××

    Producer:Kazuki Sekiyama(IN FOCUS)
    GeneralDirector:Yoshinori Kataoka(IN FOCUS)
    Director:Masateru Kawakami
    DP:Sora Nishioka
    Camera Assistant :Keita Onishi
    Editor:Haruna Kitagawa(IN FOCUS) / Yumiko Shishido(SALMIX)
    Production Manager:Godo Yuma
    Mixer:Hiroki Takita(SALMIX)
    Narrator:Natsuki Terauchi

    Project details - JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023
    https://jff.jpf.go.jp/watch/ic2023/

    ×××××××××
  • タイトル 短編映画『雨のまにまに』
    作業領域 製作総指揮・撮影
    媒体 映画
    ジャンル ドラマ
    コメント 第16回 札幌国際短編映画祭
    国内最高賞【最優秀国内作品賞】 受賞作品
    https://www.youtube.com/watch?v=Zyyx2kLd_yk

    女優・北村優衣のアクティングリールとして企画・撮影した自主制作の短編映画。
  • タイトル 【製作:合同会社nemaki.】辻・本郷 税理士法人 相続センター「それ、辻・本郷!」篇 2024年CM/30秒
    作業領域 撮影
    媒体 CM
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント 辻・本郷 税理士法人のTVCMの撮影を担当。

    Director:Kenshiro Irie(合同会社nemaki.)
    DOP:Sora Nishioka
    Gaffer:Ryuichi Komoto
  • タイトル 【CM】Pokémon『あの頃のような、まぶしい日々を歩こう。』
    作業領域 撮影・プロデュース/シナリオ協力
    媒体 CM
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント 株式会社ポケモンとUS発祥のブランド「Original Stitch」の販売するオーダーメイドシャツのコラボ商品のコンセプトCM。
    タイトルは作詞家の戸田昭吾氏による命名。
  • タイトル あかたろ - 平成筑豊鉄道が走る[Music Video]
    作業領域 プロデュース・撮影・編集
    媒体 WEB
    ジャンル 音楽
    コメント 撮影・総合プロデュースさせていただきました。
    本作品は企画の立案から現地視察、製作のコーディネートから
    実際に撮影〜編集まで全て西岡が担当させて頂きました。


    福岡県の第三セクター、山間をコトコトと静かに走る"平成筑豊鉄道"。
    シンガーソングライター・ あかたろ さん自身の故郷である田川に根付いたその鉄道を、
    力強く鮮明に切り取ったミュージックビデオを製作させていただきました。

    5月。田んぼの水面が揺蕩い、緑深まってきた田川の山々に囲まれながら、
    約1週間現地に身を置き、平成筑豊鉄道、そして平成筑豊鉄道にまつわるさまざまな風景や人々の生活を切り取り、
    現地に根付いたそのかわいいかわいい鉄道を
    心から愛するあかたろさんの力強い曲に載せ、描かせていただきました。
  • タイトル HIS - 「#いましか出来ないコト」
    作業領域 撮影
    媒体 CM
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント HISのキャンペーンCMを撮影させて頂きました。
    監督は濱屋丈さん、
    照明は河本隆一さんです。

    フルバージョンはこちら▼
    https://www.youtube.com/watch?v=03nOa1uTMog

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    ーー全国の学生たちへ。

    ーー大切な仲間と、いま、行こう。

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    【 music by SHE'S 】

    ♪Super Bloom
    2023.5.24 Release
    6th Album『Shepherd』
    https://shes.lnk.to/shepherdPR

    #SHE_S #SuperBloom #Shepherd

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  • タイトル Japan Mobility Show 2023 Highlights
    作業領域 撮影
    媒体 WEB
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント Japan Mobility Show 2023のCMを撮影させて頂きました。
    僕がかねてから憧れていた主観撮影を所々で多用。
    イベントとしても家族で楽しめるアクティビティになっており、撮影中に高校の同級生と会ったり、お客さん皆の笑顔が眩しい撮影となり、
    わくわくするギミックを詰め込んだ、楽しいCMに仕上がりました。
    主観撮影のスノーリーカムは、メタルワークスの桝井さんと共にデザインし、この作品のために製作させて頂きました。

    Director:Taijyu Nakajima
  • タイトル 短編映画『じゃあね!また明日。』
    作業領域 プロデュース・製作総指揮・撮影
    媒体 映画
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント ベネッセ(進研ゼミ)さんから依頼を受け製作した自主映画。
    参考に前作『雨のまにまに』を挙げていただき、全国の中学生へ向けた
    学生ならではの抱える今の悩みに直結したメッセージ性のある自主映画を目指しました。

    監督は短編映画『雨のまにまに』で第16回札幌国際短編映画祭にて最優秀国内作品賞を受賞した金澤勇貴さん。照明は河本隆一さんです。
    本作品は西岡がプロデュースも担当しました。

    第7回 渋谷TANPEN映画祭 CLIMAX at 佐世保
    🏆佐世保市長賞🏆株式会社フェローズ賞🏆
    🏆NCC長崎文化放送賞🏆シルバーバーガー賞🏆受賞
    🏆主演女優賞🏆助演俳優賞🏆監督賞🏆脚本賞🏆 選出
  • タイトル United Athle|Autumn & Winter 2023 Season Look
    作業領域 撮影
    媒体 WEB
    ジャンル CM・プロモーション・ブランディング
    コメント I had the opportunity to shoot a brand movie
    for United Athletics.
    Seasonal look book at Autumun and Winter.

    ⊿⊿⊿⊿⊿⊿⊿⊿⊿⊿

    Director:Taijyu Nakajima

庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりに聊(いささ)か許(ばか)りの菜園があって、真中に栗の木が一本立って居る。是(こ)れは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに脊戸(せど)を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋(やましろや)と云う質屋の庭続きで、此(この)質屋に勘太郎という十三四の忰(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目の垣根を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まえてやった。其(その)時勘太郎は逃げ路を失って、一生懸命に飛びかゝって来た。向うは二つ許り年上である。弱虫だが力は強い。鉢(はち)の開いた頭を、こっちの胸へ宛(あ)てゝぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷の袖の中に這入(はい)った。邪魔になって手が使えぬから、無闇(むやみ)に手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、左右へぐらぐら靡(なび)いた。仕舞に苦しがって母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。  清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。  夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。 袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけて置いて、足搦(あしがら)をかけて向(むこう)へ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩(くず)して、自分の領分へ真逆様(まっさかさま)に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。其(その)晩母が山城屋に詫(わ)びに行った序(つい)でに袷の片袖も取り返して来た。
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親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこか母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。  清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。  夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。 ら飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使に負(お)ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、此次(このつぎ)は抜かさずに飛んで見せますと答えた。  親類の者から西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳(かざ)して、友達に見せて居たら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指位此(この)通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いて居る。然し創痕(きずあと)は死ぬ迄消えぬ。
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母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。  清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。  夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。 様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。 此外(このほか)いたづらは大分やった。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人参畠(にんじんばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出揃(でそろ)わぬ処へ藁(わら)が一面に敷いてあったから、其(その)上で三人が半日相撲(すもう)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされて仕舞った。古川の持っている田圃(たんぼ)の井戸を埋めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟宗(もうそう)の節を抜い母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
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 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。  清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。  夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。 て、深く埋めた中から水が沸(わ)き出て、そこいらの稲に水がかゝる仕掛であった。其(その)時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ插(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食って居たら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。慥(たし)か罰金(ばっきん)を出して済んだ様である。  おやじは些(ちっ)ともおれを可愛がって呉(くれ)なかった。母は兄許(ばか)り贔負(ひいき)にして居た。此(この)兄はやに色が白くって、芝居の真似(まね)をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。成程(なるほど)碌なものにはならない。御覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。只(ただ)懲役に行かないで生きて居る許りである。
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此外(このほか)いたづらは大分やった。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人参畠(にんじんばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出揃(でそろ)わぬ処へ藁(わら)が一面に敷いてあったから、其(その)上で三人が半日相撲(すもう)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされて仕舞った。古川の持っている田圃(たんぼ)の井戸を埋めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟宗(もうそう)の節を抜いて、深く埋めた中から水が沸(わ)き出て、そこいらの稲に水がかゝる仕掛であった。其(その)時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ插(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食って居たら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。慥(たし)か罰金(ばっきん)を出して済んだ様である。  おやじは些(ちっ)ともおれを可愛がって呉(くれ)なかった。母は兄許(ばか)り贔負(ひいき)にして居た。此(この)兄はやに色が白くって、芝居の真似(まね)をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。成程(なるほど)碌なものにはならない。御覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。只(ただ)懲役に行かないで生きて居る許りである。 母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。  清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。  夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。  母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
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