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庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりに聊(いささ)か許(ばか)りの菜園があって、真中に栗の木が一本立って居る。是(こ)れは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに脊戸(せど)を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋(やましろや)と云う質屋の庭続きで、此(この)質屋に勘太郎という十三四の忰(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目の垣根を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まえてやった。其(その)時勘太郎は逃げ路を失って、一生懸命に飛びかゝって来た。向うは二つ許り年上である。弱虫だが力は強い。鉢(はち)の開いた頭を、こっちの胸へ宛(あ)てゝぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷の袖の中に這入(はい)った。邪魔になって手が使えぬから、無闇(むやみ)に手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、左右へぐらぐら靡(なび)いた。仕舞に苦しがって母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。
袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけて置いて、足搦(あしがら)をかけて向(むこう)へ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩(くず)して、自分の領分へ真逆様(まっさかさま)に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。其(その)晩母が山城屋に詫(わ)びに行った序(つい)でに袷の片袖も取り返して来た。
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親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこか母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。
ら飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使に負(お)ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、此次(このつぎ)は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類の者から西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳(かざ)して、友達に見せて居たら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指位此(この)通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いて居る。然し創痕(きずあと)は死ぬ迄消えぬ。
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母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。
様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
此外(このほか)いたづらは大分やった。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人参畠(にんじんばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出揃(でそろ)わぬ処へ藁(わら)が一面に敷いてあったから、其(その)上で三人が半日相撲(すもう)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされて仕舞った。古川の持っている田圃(たんぼ)の井戸を埋めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟宗(もうそう)の節を抜い母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
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母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。
て、深く埋めた中から水が沸(わ)き出て、そこいらの稲に水がかゝる仕掛であった。其(その)時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ插(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食って居たら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。慥(たし)か罰金(ばっきん)を出して済んだ様である。
おやじは些(ちっ)ともおれを可愛がって呉(くれ)なかった。母は兄許(ばか)り贔負(ひいき)にして居た。此(この)兄はやに色が白くって、芝居の真似(まね)をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。成程(なるほど)碌なものにはならない。御覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。只(ただ)懲役に行かないで生きて居る許りである。
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此外(このほか)いたづらは大分やった。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人参畠(にんじんばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出揃(でそろ)わぬ処へ藁(わら)が一面に敷いてあったから、其(その)上で三人が半日相撲(すもう)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされて仕舞った。古川の持っている田圃(たんぼ)の井戸を埋めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟宗(もうそう)の節を抜いて、深く埋めた中から水が沸(わ)き出て、そこいらの稲に水がかゝる仕掛であった。其(その)時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ插(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食って居たら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。慥(たし)か罰金(ばっきん)を出して済んだ様である。
おやじは些(ちっ)ともおれを可愛がって呉(くれ)なかった。母は兄許(ばか)り贔負(ひいき)にして居た。此(この)兄はやに色が白くって、芝居の真似(まね)をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。成程(なるほど)碌なものにはならない。御覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。只(ただ)懲役に行かないで生きて居る許りである。
母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らして居た。おやじは何もせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云って居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじが有ったもんだ。兄は実業家になるとか云って頻(しき)りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩(けんか)をして居た。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いいつ)けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
清が物を呉れる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分丈(だけ)得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ1人に呉れて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。是(これ)は不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。然し清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許(こればかり)ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んで居た。其(その)癖勉強をする兄は色許り白くって、迚(とて)も役には立たないと一人できめて仕舞った。こんな婆さんに逢っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌(きらい)なひとは屹度(きっと)落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、矢っ張り何かに成れるんだろうと思って居た。今から考えると馬鹿々々しい。ある時抔(など)は清にどんなものになるだろうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかった様だ。只手車(てぐるま)へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。
夫(それ)から清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈(だけ)はして置いた。所が此(この)女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔(など)と勝手な計画を独りで並べて居た。其(その)時は家なんか欲しくも何ともなかった、西洋館も日本建(だて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは慾がすくなくって、心が奇麗だと云って又賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間は此(この)状態で暮らして居た。おやじには叱られる。兄とは喧嘩する。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望もない。是(これ)で沢山だと思って居た。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思って居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。其(その)外に苦になる事は少しもなかった。只おやじが小遣を呉れないには閉口した。
母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大(おおい)に痛かった。母が大層怒って、御前の様なものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊まりに行って居た。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
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